スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | -

[ 車遍歴 8 ] ALFAROMEO SZ(ES30) -



一年ぶりに「車遍歴」を書きます(誰も覚えてないけど・・・)。以前「SZ(ES30)」の購入に至るまでの話を書きましたが、今回は購入してから手放すまでの2年間のお話をさせていただきます。確か1996年の12月24日が国内新規登録日だったと記憶しています。で、引き取った日が年の瀬の27日だったので、なにかとバタバタしてました。仙台に戻った翌日はお約束の洗車(^^♪。朝早くから気合を入れて行ったものの寒さでくじけそうになりましたが、何とかがんばって拭き上げて、ご当地の塩竈神社にて交通安全祈願。その日は特に遠出するわけでもなく、雪のない場所を選んで軽く流す程度でした。とりあえずは納車の祝いと、いつ雪が降るか分からないので大事をとって年越したように思います。

さて、長くなりそうなのでかいつまんで所有2年間の主な事柄を書きとめておきます。まず、SZを購入してよかったことや面白かったことですが、ワインディ ングなどにいくと自然と道を譲ってくれるようになって走りやすくなりました(これ、本当です・・・わけは後で分かります)。それと素人腕でもそれなりに個 人のレベルで痛快に操作できること。おまけに、幾度か車だけ見てVIP扱いされてこともあり、今でも車の恩恵としてありがたく思っています。しかしお気に 入りだったのは、フェラーリ並みのフィニッシュで仕上げられた内装でしょう!メーターも328あたりの物を流用し、カーボンチックなインパネ。ビスケット 色の革張りシートと、居心地がよかったです(^^♪。あの風呂桶に身を沈めるような乗り心地も今となっては懐かしいですね(笑)。そうそう、極めつけは洗 車が楽だったことです!凹凸やモール類が少なく、ほんと洗いやすかったなぁ〜。

逆にいやだったのが、高飛車にしてるわけでもないのに「高級車オーナー」としてみられて、最初は普通に接してもらえない状況がありました(これは話してしまえば解消するんですが)。あと、車庫が低いため(そう見えるため)立体駐車場ではすぐに×(ダ メ)印を出されスムーズに入れてもらえなかったこと(車高を上げて入れてました)。なかでも、気を遣ったのはボンネットが異常に重く、開け閉めのとき慎重 にやってました(一度、FRPのボンネットを装着したオーナーのSZを拝見させてもらいましたが、指一本で持ち上がってびっくりしたことがあります)。真 夏の問題点もありました。これはリアウインドウの面積が非常に大きく、炎天下の下でエアコン点けても今ひとつでした(インパネ後ろの空調レバーのワイヤー などを直接調整してもみましたが変わらず)。それと注意点は、そのガラスの面積の大きさゆえ、タオルで中から拭いていくと、日差しで頭が「クラクラ」して くるので要注意ですよ(笑)。

車としての評価は、先にも書いた最高のV6を2年間15,000?堪能できたことは今でもすばらしい思い出です。燃費も7〜8?とインプレとおりで個体と してははずれのない車だったと思います(高速走行は10〜12?)。シリアルNOは546だったかな〜? 一連の付属品はすべてついていましたが、ひとつだけ専用工具と工具入れがありませんでした。走りの点においては、先の記述のとおり素人でも楽しく峠道を攻 めることもできたし、ロングツーリングも快適でした。ただ、不満な点を上げれば、高速での巡航がいまいちで、走行中リアのピッチングが気になったこと。そ して、いわくのリアのダンパー付け根の角度障害による異音の発生(5,000?ごとに主治医に調整してもらいました)。最高速近くになると安定性が今ひと つで、フロントが浮くような感じとでもいうんでしょうか、段差越えがかなり怖かったです(T_T)。失敗したのは、フロントヘビーなので燃料が少なくなる とリアが滑りやすくシビアになって、2〜3回ハーフスピンこいたこと(笑)。SZは限界を超えるた時に操れるかどうかが問題で、私は結局そこまで到達する ことができずちょっと心残りかな。

2年間の所有時は故障皆無でしたが、経年劣化なのか電動ファンのリレーがカビによる接点不良で、一度クーラントが沸騰してリザーバータンクから噴出したことがありまし た。急いで予備のリレーを購入し、不具合のリレーは電動ファンが直結するように加工してもらってエマージェンシー用としてストックしてました。そのほかの トラブルは、室内のルームミラーが突然外れたことがありえらいびっくりしましたっけ・・・(笑)。でもこれは強力接着剤で元通りになりました。あと最悪な のが、リアースポイラー付け根の部分からの水漏れです。構造上の問題もあってか、結構な数の車両が直面するトラブルですね。私のは製造年よりまだ4年しか 経過してなかったので、普通の雨ではもれることはなかったのですが、洗車時のジェット水流はスプーン小さじ一杯分ほど水が侵入してきました。

続きを読む >>

車・遍・歴 | 21:00 | comments(4) | trackbacks(0)

[ 車遍歴 8 ] ALFAROMEO SZ(ES30) -


かなり久々に「車遍歴」を書きます。94〜96年の2年間に初めてのアルファロメオ75TSを2年間所有し、甘い蜜月生活を送ってきておりましたが、ついに96年の12月にお別れとなりました。それは、SZを購入するために下取りとして手放すこととなったわけです。そもそも、SZに熱中するきっかけというのは96年の横浜で行われた“ニューイヤー・ミーティング”で購入した雑誌 「SUPER CG」でした。当時、75TSを所有していたときから「次はおなじトランスアクスルのSZを所有してみたい!」と感じており、このSUPER CGの小林章太郎さんの連載記事に触発されて、SZ関連の雑誌を買い漁っては、毎晩寝る間を惜しんではSZ関連の雑誌を読みまくっておりました(笑)。

〜96年当時は、155をきっかけにイタリア車が大ブーム(イタ飯も)となり、同様にマイブームも手伝って、ありとあらゆるイタリア車に目が向いたものでしたが、その中でもSZの群を抜いたインパクトの凄さは言うまでもありませんでした。しかし、私個人としては、それ以上にインテリアの素晴らしさと、記事にも書かれていた「3.0 V6-SOHC」の魅惑のサウンドが聞きたくて聞きたくて、一人妄想にふける始末でした。75を楽しむ傍ら、SZの購入を夢見る生活が毎日続くのでした(笑)。ではどんな具合にSZの購入にこぎつけたかというと、毎月、かなりの額の定額貯金をして頭金確保作戦に出て、雑誌から得られ情報を集め、どこのショップ(場所も含め)で買うかも事前に調査し、それでも物足りず、実際にこの目で見てみたいということで、96年のアルファ・デイにまで出向いていくのでした。

先にも書きましたが、96年のアルファ・デイに参加した帰りに出会ったSZのオーナーさん(当時〜現在は156GTA)のご紹介で埼玉のショップ・ガレージ エ●トさんを紹介されたことが、一気に購入まで後押ししていただくこととなったのです。このSZオーナーの方を「Mさん」としましょう。Mさんはとても親切で、出会ったその日にもかかわらず「SZ運転してみる?」なんて天にも昇るような言葉をいただき、二度返事で「はいっ?はい!」と勢いで答えてしまいました(普通は遠慮するんですが、SZに恋していたため断る返事が見つかりませんでした)。たった数キロでしたが、雑誌のインプレッションのとおり、抜群のサウンドで無用なブリッピングを繰り返したくなるほどの素晴らしいV6エンジンでした。そのあとパーキングで話が尽きることはなかったのですが、仙台へ帰る時間が迫ってきており、Mさんにお願いして、関越道の途中まで併走していただきました。その後何度か埼玉のMさん宅にお邪魔して、お店まで連れて行っていただき、社長さんとも順調に話が進み、11月にお店に遊びに行ったときには、すでに印鑑を持参し「いつでも契約します」の勢いでした(笑)。結果、ドイツから取り寄せるということでオーダーをしてしまうわけです。ほんと車に恋するとすべてにおいて順調に物事が進みますね(^^♪。



そして契約も済ませ、今度は待ちに待った納車です。納車は年の瀬も迫った12月27日でした。75TSで朝早く東北道を駆け抜け(途中BMWの5シリーズと最高速バトルを展開!)嫌がる友人を無理やりつれてお店に出向きました。お店にはすでに外にSZが準備されており、そのまばゆい赤いボディーにもう失神寸前でした(爆)。92年式だったので4年落ちの新古車というんでしょうか?(走行距離もまだ2,000キロ未満でした)。この後、ちゃっかり納車の記念撮影をすませ、隣にMさんを乗せて国道を試乗。しかし、ここで驚くべき自体が発生!それはまだアタリのついていないブレーキが踏んでも「スゥ〜ッ」と滑ってとまらないんです。これにはほんとびっくりしましたが、何とかオカマを掘らずに済みお店まで戻ることができました。そして、爆発しそうなくらいうれしい気持ちを抑え、Mさんとお店の方々に挨拶して、友人と東北道を仙台に向けて約350キロの初ドライブと洒落込むわけです。すでに夕暮れ時でしたのでライトを点灯し走行していくと、真っ暗な中に照らし出されるプロジェクターランプの明るさに驚き、友人と止むことのないSZ談義を語り合いながら、納車のうれしさをかみ締めて帰路に着くのでした...つづく。

車・遍・歴 | 01:03 | comments(0) | trackbacks(1)

[ 車遍歴 7 ] ALFAROMEO 75TS (2)



前回のつづき・・・94年の11月に、155の中古車を購入するつもりでディーラーに足を運んだわけですが、営業マンは「今はありません!」ときっぱり 。「どうしよう?」と思っていたところへすかさず営業マンが「75はいかがですか?」と言い寄ってくる。それに簡単にも乗ってしまうワ・タ・シ(笑)。そして、それは突然やってきました!...赤い75TSのキーをひねりエンジンをかけた瞬間「ブオ〜ンッ!」とスポーティーなエグゾーストノートにやられました(≧∇≦)ノ彡。そう、一発でその音に参ってしまったのです(単純ですねぇ〜。マフラーは純正だと思いきや、あとでアンサーだと知りました)。恋は盲目といいますが、まさにその形容はぴったりで、155のことはすっかり忘れて、その勢いで契約書に印鑑を押してしまったのです(もちろん値切りましたが)。その昔、写真だけで見ていた頃は不恰好な車だな〜と思っていた75TSも所有してからは「なんともいえないかっこよさ」を覚えるようになりました。そしてアルファロメオを所有するという夢がかなった思いがいっぱいで、なんともいえない優越感を感じた時期でもありました(ちなみに私の所有した75TSは'87年式です)。

それから75TSと2年間の甘い蜜月を過ごすわけですが、自損事故を1回(縁石に乗り上げてエキマニを壊しました)起こし、2回スピード違反を起こし、毎週のように高速で最高速アタックを行い、長野のアルファ・デイに参加し、ニューイヤーミーティングにも参加し...と、今までの車歴の中で一番思い出深いカーライフを過すことができました。その2年の間、実に36,000舛鯀ったわけですが、突然恋をした車だけに別れも突然やってきてしまいました。それは、アルファ・デイで知り合った埼玉在住のSZオーナーとお知り合いになり、SZのショップを紹介していただいたんですが、そのお店とうまい具合に話が進んでかねてよりあこがれていたSZ(ES30)の購入へと話が進んでいったわけです。

〜それにしても75TSは、最初のアルファロメオ体験ということもあり、いまだにもう一度所有してみたい車のひとつとなっています。現実的に考えれば最終年式で'92年ですから、すでに13年落ちなわけで再度購入するにはそれなりの覚悟が必要となります。しかし、オールマイティーな1台として使えるFRアルファとして見れば貴重な存在の1台となるわけです。

車・遍・歴 | 23:58 | comments(6) | trackbacks(1)

[ 車遍歴 7 ] ALFAROMEO 75TS (1)



久方ぶりに車遍歴を書くことになりますが、やっとアルファロメオ編に入ります。振り返ること11年前の秋。以前勤めていた会社が倒産し止む無く仙台に戻って就職活動をしていたわけです。ありがたいことに倒産した後、管財人のもと退職金をきちんといただくことができ、就職準備金として利用させていただきました。あせることなく就職活動をしておかげさまで5ヵ月後に無事就職先も決まり、94年の11月からあらためて社会人としてカムバックしたわけです。そんな就職活動をしている最中、足車で使っていたカリーナEDがオイル上がりやマフラー破損などの病に見舞われており仕方なく手放す覚悟を決めたわけです。結果的に就職活動とあわせ、次期所有車探しも同時に行わざる得なかったのですが、さすがにこちらは苦しむことなく楽しく選ぶことができました(笑)。

まず最初にターゲットとして候補に挙がったのが、先に所有していたアウトビアンキの印象が根強く残っていたため、迷うことなくイタリア車に行きました!で、どこのメーカーかといえば、これまた迷うことなくアルファロメオだったわけです(この時点ですでに進むべき道を無意識に決定したいたわけなんですね!)。さて、そこで迷うべきは車種です。当時は155がDTMで活躍する次期だっただけに、ディーラー(今みたいなアレーゼなどの全国的な販売網はなかった時代)の展示車両は155や164でした。確かに164は大好きな車ですが、さすが就職が決まったとはいえ500万オーバーの車はちょっと...ということで却下。しかし、その隣にシルバーの鈍い光をかもし出す92年式Sr.4 SPIDER VELOCEがおいてあるではないですか!もうしびれました(^^♪。

ユーノスロードスターの所有時、その優雅なピニンファリーナのスタイリングにべた惚れし、ほんとに購入しようかと思い見に行った事を思い出しました(450万という価格に手が出ず諦めた経緯がありますが)。どれどれとプライスカードを見ると「450万」?良く見ると、このスパイダーやけに綺麗じゃないですか?そう、それはディーラー在庫の新車だったのです。中古と思っていただけに、これでは欲しくても手が出ません...。結局、どうしようかと思いながらも再検討ということで撤退。家に帰ってあれこれと中古車雑誌や車の雑誌を読み漁り、下した決断は「155の中古をゲットしよう!」ということでした...続く

車・遍・歴 | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)

[ 車遍歴 6 ] AUTOBOANCHI Y10 FIRE



Autobiachi Y10 Fire(アウトビアンキ・イプシロン10)” この2台目に選んだイタリア車はとても素敵で扱いやすい車でした。その車は...そう、免許取立ての頃に運転するだけで幸せな気持ちになれた懐かしい気持ち。そんな気分にさせてくれる楽しい車でした。

そもそもの購入動機は、SZ(ES30)の購入によって足車を確保しなければならない状況だったのがはじまりでした。正直な車のインプレは、お世辞にもほめられるものではありませんでした...。発進速度はまるで「のろまなカメ」といわんばかりの遅さ、エアコンがなく蒸し風呂状態、低速コーナーでも思いっきり泣きわめく極細タイヤ(155/70R13,75H)...などなど探せばきりがないマイナス点。でもそれを上回るほど五感に訴えるところが多いイタリアン・ミニは、そんなマイナス点をリカバリーするほどの車でした。今にして思えば、パンダと同じOHCのFireエンジン(シングルキャブ)はそんなにブン回せないものの、最高の燃費(リッター=15〜16キロ)を提供してくれたり、エンジンルームの非常に合理的な設計、情けないほどロールするものの粘りのあるストラット足、人間工学に準じたステアリングデザインと視界良好の着座位置...などなどいい点も挙げたら枚挙にいとまがありませんね。結局は8ヶ月と短い付き合いで手放ししてしまったのが心残りでした。

日本でパンダが大ヒットしたものの、そのエクステリアデザインは極少数のマニアにしか理解されず、結果的に日本では相手にされませんでした。販売台数も思うように伸びず、オートザムが撤退した後はその短い生涯を終えることとなってしまいました。今ではすっかり淘汰され、町中でも見かけることはほとんどなくなりましたが、個人的には80年代で一番お洒落なイタリアン・ミニだったと思います。私のY10は“1.0 Fire”というグレードの廉価版でしたが、当時のディーラーJAXでは、他にターボなどもラインアップしてバリエーションを取り揃えておりました。その後オートザムがディーラー権を獲得後に取り扱いを始めた頃は、最終型の1.3GTi.e のラインアップで、内装がアルカンタラ仕様、パワーウインドウ装備、クーラー標準装備という、とてもうらやましいすごい装備内容でした。〜今でも所有できるなら足車として使いたいと思っています。

JUGEMテーマ:LANCIA

車・遍・歴 | 00:31 | comments(0) | trackbacks(1)

[ 車遍歴 5 ] AUTOBIANCHI A112 ABARTH 



1991年...ロードスターに乗って丸2年たった頃、以前勤めていた会社から辞令が出て遠く東京の原宿に勤務することになってしまいました。こればかりはどうしようもないので(原宿ということも惹かれた要因でしたが)東京へ行く決意をし初めての転勤というものを体験しました。

〜しかし、東京転勤になって3ヶ月以上まったく乗れなくなり、残念でしたがロードスターを仕方なく手放すことになりました。駐車場も探したのですが時期はバブル末期といえども平気で月極め3万以上(それも青空駐車で!)、その高さに舌を巻いてしまいました。しかしながら、売ってしまったという現実と大きなホビーが手元になくなったという寂しい気持ちからか、また車が欲しくなり次にターゲットを定めたのがイタリア車でした。

最初は当時人気のあったフィアット・パンダに目が行きましたが新車が結構高いために中古車を探していました。2台ほどいいのが見つかり見に行く段取りだったのですが、なぜかふと目に止まったアウトビアンキA112アバルトが「買ってくれぇ〜」と言っているように感じてターゲットを修正(笑)。85年位に仙台でもちょくちょく見かけていたので、気にはなっていましたが決定付けたのは当時まだ面白かった“Tipo”の記事でした。「カルロアバルトの最後のリトルギャング」なんて笑うようなコピーに流されてしまいました。最初は千葉のJAX(当時の正規代理店)に出向き現車を確認。営業マンの「運転してみてください」という甘いささやきに耳をかしたのが運のツキ!〜今になって思えばイタリア車の泥沼化への第一歩だったのですね(笑)。

試乗でアウトビアンキA112アバルトに乗って走り出した途端うおぉぉぉぉぉ〜っ!なんだこの速さは!フェラーリを運転(したこともないのに)しているみたいだ〜っ!とそのときはまさに雷で頭を打たれたかのようにものすごい衝撃を受けてしまったのです!!ロードスターでは味わえなかった未知の体験はそのまま勢いで購入へとコマが進んでいきます(笑)。

千葉のJAXのA112は固体の状態が悪く(営業マンは非常に良かった)、初めてのイタ車ということもあって大事をとり、別に目をつけていた田園調布のチェッカーモータースにも足を運びました。こちらには5台ほどのA112があり希望の色の白も2台あり早速購入手続きに入りました。オリジナル重視だったこともあり改造のほとんどなかったほうを選び持参した印鑑を契約書に押印。後は仙台に戻って陸運局への届出だけです。〜実はこの時、ALFAROMEOも候補に挙げていたのですが、スパイダー・ヴェローチェは450万ほどしてまったく手が出ないし75TSにおいても350万オーバー、164においては500万...ため息をついていました。特にスパイダーなんかは青山通りを駆け抜けて行くその優雅さに惚れ々しておりました。確かあの時はATも出ていたので女性オーナーも見受けられました。緑の並木の中赤いボディーが映えて、ほんとお洒落な車だなと見ていました。〜購入したチェッカーモータ−スの店長さんもシルバーのヴェローチェでした。

納車後に環状7号線を抜け、代々木経由で原宿まで地図を片手に何とか駐車場まで到着し、いったん車を預けて夜の8時くらいに再出発し自宅マンションへ向かい、そのまま東北道に乗りました。夜の雨が降りしきる中、一路仙台を目指して夜通し走り続け朝方5時にやっと到着しました。
今思うとはじめての左ハンドル車で東京の道を走ってこれたなと感心しきりです(笑)。何とかなるもんなんですね〜。その後無事陸運局での登録を済ませ、1991年に晴れて記念すべき初めてのイタ車オーナーになりました...つづく。

※田園調布のチェッカーモータースに行った際には、奇遇にも大好きなフィアット126バンビーノが売られており、かなり気持ちが傾いたのですが、もうはんこを押した後で無理でした。(T_T)

※写真は当時購入した'85アウトビアンキ A112 アバルト

車・遍・歴 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(1)

[ 車遍歴 4 ] EUNOS ROADSTER



89年6月、それは当時の会社の上司の気まぐれな一言で始まった…。
まったくもって当時発表されたことすら知らない状態で「いいぞこの車!」と言われるままに無理やり興味を押し付けられたような感じとでも言うんでしょうか。「とにかく買わなきゃ損だ」とも言われ当時のカーグラフィック(マツダ・ミアータ特集)を与えられました。特集ページをめくるたびにもともとあったスーパーカーブームの「何か(笑)」が芽生えてきたことを思い出します。

その後はきっと購入モードに突入したんでしょうね。それからはとんとん拍子に契約まで行った気がします(なにせバブル真っ只中でしたし…)。物事がうまく進むときって回りもなぜか協力的で、会社の中にユーノスのディーラーに知り合いがいることを聞きつけ紹介してもらいなんとか契約までこぎつけました。おまけに後発のくせに発売月に納車してもらうと快挙も成し遂げることができうれしかったですね。ボディーカラーは当時、業務用のトラックにしかなかったブルーです(なぜか迷いもなく選んだ気がしますが)。一般的に人気のなかった色です。第三者がコメントすると「いいいねぇ〜」と行ってくれますが、いざ
購入する立場になると選ばない色だったみたいです。

購入後は周りから「乗せろ、運転させろ」などとにかく依頼が絶えなかったし、信号待ちでは知らない通りすがりのドライバーなどからよく声をかけられるし、とにかく人気でした…車が(笑)。雑誌のオープンカー特集なども片っ端から呼んで、オープンカーを勉強して硬派な乗り方を心がけていました。基本、常にオープン走行を心がけていたのでトノカバーを購入し助手席をすっぽり隠すといった変わった乗り方や、真冬でも皮ジャン羽織って乗り回しておりました(いまは考えられませんけど)。

そうそう、ロッドミレンのパーツも購入し足回りを固め車高を落とし、HKSのマフラーを入れたり、バケットシート、アルミホイールなどなど改造も枚挙にいとまがありませんでした。でも気に入らなかったのは1.6ツインカムのタコ・エンジンでした。回らない・遅い・楽しくないの3拍子でした。数年後イタリア車購入後改めて乗る機会があったときは、そのパンチのないエンジンに正直がっかりした記憶がありました。

そんなオープン三昧の2年間でしたが、会社の転勤で東京勤務になったことで手放す決意をし売却してしまいました。売却当時はまだ人気も高くリセールバリューが効いたので結構な金額で買い取ってもらった記憶があります。思う存分オープンを堪能したので未練はなかったので気持ちよく手放すことができました。

さて、この後にイタリア車に手を染めることとなるのですがこれがまた面白く展開していくのでお楽しみに!

車・遍・歴 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0)

[ 車遍歴 3] HONDA CITY



前回は免許取得してから初めて購入した車の「ダイハツ・シャレード」のことを書きましたが、今回は私が2代目に購入した「ホンダ・シティー」の話しです!シャレードは1年少々で手放してしまい、しばらく車の無い生活が続いておりました。そもそもシティ−自体は免許を取った頃から気にはなっておりましたが若さゆえ、いろいろな車に目移りしていたので好きな車の1台という程度のものでした。購入きっかけは当時勤めていた広告デザイン会社を退職し、転職先の会社が車通勤になるため必要に迫られて購入に到ったというわけです。ボディー色は「濃紺」を希望していたんですけど、中古車選びの段階で希望色がなく、結果的に「白」を選ぶこととなりました。内装はこだわりの白黒「グレンチェック柄」で結構お洒落でした(^^♪。グレードはいまだに記憶が無くて確か“E”か“U”だったはずです。エアコンはなく後付し、カセットも無かったので社外品を購入した記憶があります(でもつけづ終いに終わりました)。

この当時は粗い運転はしなかったため割と燃費が良かったように思います。悲しいことに購入1年後にぶつけられて修理をしたのですが、室内灯の点灯がたまに付かなくなるという後遺症が残ってしまいました(かわいそうに)。購入時は車両価格で選んだようなものでしたが、本当はカブリオレがほしかったのですよ。あのピニンファリーナが手がけたボディーワークに魅了されてしまい、購入しようと思ったこともありましたっけ。それにしてもシティーはほんとにパッケージングがすばらしく、当時のホンダのコンセプトのすごさを実感します。現在は「フィット」が鬼のように売れているのもシティーの成功例が息づいているのではないでしょうか。そんなことを思いながら、もう一度乗ってみたいと思う私です。しかし、あれほど見かけた、通称「トールボーイ」のシティーもここ数年はほとんど見かけることがありません。ただカブリオレだけ年に1〜2回見かけますけど、欲しかったけに目が行くんでしょうか?私は目じりを下げて見入ってしまいますねぇ〜。

車・遍・歴 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1)

[ 車遍歴 2 ] DAIHATSU CHARADE



■ちょっと一番最初に購入した車「ダイハツ・シャレード」の話をしましょう。〜昭和59年に高校を卒業し初めて自分の車を所有しようと考え出したのが19歳の秋ごろでした。うっすらと記憶があるのは、高校在学中にトヨタのクレスタを買いたいという気持ちはあったようです。となるとハイソカー・ブームに巻き込まれたのか!とお思いでしょうが、違・い・ま・す(断言)。

それは当時大好きだった佐野元春の影響なんです。彼は83〜84年の間単身ニューヨークへ渡り、街の空気を肌で感じながら新しいアルバム製作というコンセプトがあり音楽活動を行っておりました。その経過を写真集や雑誌にしておりましたが、写真集に出てきたイエローキャブがかっこよくてとても印象に残り、たまたま仙台市内で見かけた黄色い(なるべく安っぽい色をイメージしてください)トヨタ・クレスタとオーバーラップして惹かれたというわけなんです(笑)。ほんとに衝動さと若さががなせた技だったんでが、結果的には購入まで至りませんでした。そのあとも黄色い車にこだわってしばらく探していたところ、目に入ったのが黄色のVWビートルでした。しかし価格の折り合いがつかずこれまたお流れに。

そして最終的には、低価格30万で黄色という条件にぴったり一致したのが写真の「ダイハツ・シャレード」でした。今ではすっかり見かけませんが当時1984年辺りはいっぱい走っていました。思い入れはそんなになかったのですが、初めての車ということで毎週のように洗車し、時間が空けばドライブ三昧の日々を送っていましたっけ(^^♪。なおかつ当時貧乏人の私にとって非常に嬉しかったのは「燃費最高」で確かリッター15〜18キロは走ったと思います(1,000ccでシングルキャブのOHC(確か?)。車重も1トンきってましたから抜群でした)。おまけにクーラーが付いていたのも当時としては特筆すべき点ではなかったかと!所有期間は1年少々と短かったのですが、初心者運転者には小回りが効いてメンテもカンタンだったのでちょうど良かったと思いますね。これをきっかけにハッチバックの車が好きになった気がします。

※よく車の中でカーステレオの曲にあわせて大声で歌っていましたが、今思えばとても恥ずかしい思い出です。

車・遍・歴 | 01:25 | comments(2) | trackbacks(0)

[ 車遍歴 1 ]



現在1972年式のアルファロメオ・ジュリアスーパー1.3を所有し5年が経過しようとしていますが、アルファロメオはこれで3台目です。現在のラインアップのようにフェイスが統一されていない以前のモデルは、並べて見るとエンブレム以外、まるで別メーカーの車のように見えてしまいます(笑)。まぁ、それが独特の個性でもあり特徴でもあったわけだけど。
アルファロメオの実車との初めての出会いは、さかのぼること今から17年前の1987年に路上で赤の164を見たのが最初です。おそらく雑誌などで把握しており、当時の「Car&Driver」かなんかを見ていた記憶があります。多少の憧れは抱いていたようで「アルファいいなぁ〜」なんて思っていたのですが、それから2年後の1989年にユーノスロードスターを自分の意図とは別に購入(当時の上司にそそのかされて、もてるぞぉ〜と言われたのがきっかけでした!)。初めて所有するオープン・カーということも手伝って、ロードスターに丸2年間没頭してしまうことに...。

89年はネコパブ「Tipo」も創刊されたばかりで、雑誌の影響もあり輸入車のオープンカーにかなり興味を惹かれていき、エラン、MG-B、マーコスマンチューラ、ベック550、などなど枚挙にいとまがないくらい目移りしていた時期でもありました。しかし最終的には「アルファスパイダー」に行きつき、ディラーにも勢いで現車を見に行きました(当時の国●自動車は結構親切でいい感じでした)。確かデルタの16VもWRCで活躍し当時のオートザムに展示しており、ロードスターの下取り・見積もりをしに行った記憶もあるな?確か。そう思い出してみると、当時からかなりイタリア車には惹かれていたのですね。

そうそう、85〜86年くらいにもまじめにFIAT・UNOとFIAT126(バンビーノ)を購入する手前まで行った記憶がよみがえってきました。さらにその前には「スーパーカーブーム」でイタリア車にのめりこんでいたし、そうなるとイタリア車大好き歴はかれこれ、28年ということになりますね...いやぁ〜四半世紀を超えてしまうなんて、すごいな!

車・遍・歴 | 02:52 | comments(2) | trackbacks(0)